人は目的なしに土を練って陶器を作ったり,テレビの受像器やコンピューターを組み立てたりするわけではありません。地球とそこに生きる動植物にはこれらよりはるかに驚嘆すべきものがあります。幾兆という細胞から成る人体の造りはわたしたちの理解を超えています。物を考えるための頭脳の働きだけを見ても,そこには計り知れないものがあります。人間の,比較すれば微々たる発明物にもそれを生み出した目的があるのであれば,エホバ神もその畏敬すべき創造物に対して目的を持っておられたはずです。箴言 16章4節はそれを認めてこう述べています。「エホバはすべてのものをご自分の目的のために造られた」。
エホバは一つの目的をもって地球を造られました。最初の人間夫婦に対してこう言っておられます。「子を生んで多くなり,地に満ちて……海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ」。(創世記 1:28)この最初の人間夫婦は不従順になったため,地と地上の動植物とを愛のうちに管理する,義にかなった人間家族でこの地を満たすことができませんでした。しかし,彼らの失敗によってエホバの目的がついえるわけではありません。幾千年も後,次のことが記されました。「神,地を形造られた方(は)それをいたずらに創造せず,人が住むために形造られた」。地球が滅び去ることはありません。「地は永久に保つ」のです。(イザヤ 45:18。伝道の書 1:4,「新英訳聖書」)地に対するエホバの当初の目的は必ず果たされます。こう保証しておられます。「わたしの計り事は立ち,わたしは自分の喜びとすることをみな行なう」。―イザヤ 46:10。
したがって,エホバの証人は,地が永久に存続すること,また,地を人の住む美しい所にするというエホバの目的と調和する人は,生きている人も死んだ人も,皆そこで永久に生きられるようになることを信じています。人は皆アダムとエバから不完全性を受け継いでおり,そのゆえに罪人です。(ローマ 5:12)聖書はこう述べています。「罪の報いは死です」。「生きている者は自分が死ぬことを知っている。しかし,死んだ者には何の意識もな(い)」。「罪を犯している魂―それが死ぬのである」。(ローマ 6:23。伝道の書 9:5。エゼキエル 18:4,20)では,どのようにして人は再び生きて地上での祝福にあずかるのでしょうか。それはただキリスト・イエスの贖いの犠牲によります。イエスはこう述べられました。「わたしは復活であり,命です。わたしに信仰を働かせる者は,たとえ死んでも,生き返るのです」。「記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来(ます)」。―ヨハネ 5:28,29; 11:25。マタイ 20:28。